あさぎり町中部ふるさと会

あさぎり町中部ふるさと会とは
熊本県球磨郡あさぎり町出身者、及び あさぎり町と
係わりのある方々の中部地区での親睦団体です。

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2017年1月13日

第25回 ふるさと探訪 軽巡洋艦 「球磨」の話

 平成28年8月15日に71回目の終戦記念日を迎えた。そこで今回は戦前に竣工し、太平洋戦争の末期のマラッカ海峡でイギリス軍の魚雷攻撃を受けて沈没した軽巡洋艦「球磨」の話をする。遠い昔のことで、日常生活では縁の遠い軍艦であっても「球磨」と名のつく軍艦であれば親しみもわき、その戦歴と末路を知りたくなるのは球磨人の人情である。
 「球磨:くま」は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦であり、球磨型軽巡洋艦の1番艦である。その艦名は球磨川にちなんで命名された。水雷戦隊の旗艦を担うために「球磨」は5500トン型軽巡洋艦14隻(球磨型5隻、長良型6隻、川内型3隻)の最初の艦として建造された。主砲には14センチ単装砲を7門装備、3番、4番の砲が両舷に分かれて設置されているため、片舷への同時砲撃は6門、1〜4番までの4門が前部に5〜7番までの3門が後部に配置されている。長門型の戦艦でさえ竣工時は8万馬力だったのに完成当初は9万馬力で36ノット(66.7km/h)という超高速を誇り、朱子学研究家で錦町在住の福田晃市さんに紹介していただいた大正14年発行の呉新聞には「列車以上の拘束力」とある。さらに同艦は、14センチ砲を7門、53センチ魚雷連装発射を4基備えた当時としては強武装を誇った。先ほどの、球磨型の5隻の軽巡洋艦というのは、多摩川にちなんだ「多摩」が2番艦、3番艦は北上川にちなんだ「北上」、4番艦は大井川にちなんだ「大井」、そして5番艦は木曽川にちなんで名付けられた「木曽」である。いずれも有名大河の名を付した戦艦であったがほとんどが沈没か大破の戦歴であり、「北上」だけが帰港し工作艦として終戦を迎えた。「球磨は」1918年の8月に佐世保海軍工廠で起工、翌年7月に進水し、1920年8月に竣工した。就役後すぐにシベリア出兵のための日本軍の上陸を掩護(えんご)する任務についた。続いて、中国の遼東半島先端部の旅順を拠点として関東州から中国山東省の青島にかけての中国沿岸の哨戒にあたり、その後、1934年末ごろ、魚雷発射管と九四式水上偵察機のような水上偵察機を発進させるためのカタパルトを装備する改装を受け、中国海岸の哨戒や中国中部への日本軍の上陸を掩護した。1937年から翌年秋まで、山東省の青島を拠点とする伊号潜水艦の機雷潜戦隊の旗艦となった。

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図1左)軽巡洋艦「球磨」 出典:THE STAR ONLINE Nation
図2右)切断され引き上げられた「球磨」の残骸 写真:THE STAR ONLINE

1941年〜1942年にかけえてフィリピン侵攻、ニューギニアでの活動をしていたが、マラッカ海峡付近でイギリス海軍の潜水艦に発見され、2発の魚雷を受けて沈没した。乗組員138人が戦死した。
 「球磨」にも艦内神社(かんないじんじゃ)があった。艦内神社とは、軍艦や艦艇などの内に設けられる小規模の神社のことで、法令上の根拠はなく、関係者の任意によって設けられたもので、もちろん、専任の神職は存在いない。「球磨」の艦内神社は「市房山神社」だったとの当時の新聞記事と一緒に、やはり福田晃市さんからいただいた。市房山神社の遥拝所である湯前町の「里宮神社」では、軍艦「球磨」の模型を置くとのことである。ちなみに、球磨型軽巡洋艦の2番艦、多摩川に因んで命名された「多摩」は、東京都府中市の「大國魂神社」から立派な艦内社殿の寄贈を受けて出陣したが魚雷3発を受けルソン島沖で沈没した。
 球磨型5隻の軽巡洋艦もまた、船霊(ふなだま:航海の安全を願う神)の効験なく大破ないしは撃沈された。なかでも「軽巡洋艦 球磨」のその後は哀れである。沈没船体は、2004年にオーストラリア人のダイバーやシンガポールを拠点とする調査船のダイバーによって発見された。しかし、2014年になって、マレーシアのサルベージ業者が、無許可で違法と知りながら屑鉄目当てに「球磨」を切断して引き上げ、トンあたり2万円前後で売却したという。
図2は、THE STAR ONLINEで紹介された無残にも切断され、引き上げられた「球磨」である。海底での鎮魂を祈った元乗組員の遺族は決して見たくない写真であろう。                                    
(つづく:次回から、人吉球磨地方はクマソ国であり、
                           熊襲復権への願いを込めた話)
<補遺>
 今回で25回目である。当初の予定では本稿で終わりにする予定であったが、帰省したおり、人吉球磨地方のことをもっと紹介して欲しいとの要望もあり、調べてみると確かにまだまだ執筆すべきこと、若い人に伝えおくべきことが幾つかあることに気づいた。また、たくさんの読者の方からの励ましのメールをいただいた。それに応えることにして、第26回目からのふるさと探訪では、以下の項目を書き足すことにした。引き続きお目通しいただければ幸いである。
あさぎり町ふるさと会の溝口様には、引き続きお世話になる。

第26回〜28回目は、ふるさとの球磨は狗奴国・クマソ国の傍証と熊襲復権の話
第29回〜30回目は、人吉球磨地方の伝承芸能、臼太鼓踊りとそのルーツの話
第31回〜32回目は、人吉球磨地方の伝承芸能、球磨神楽と他神楽との違い話
第33回目は、人吉球磨地方の伝承芸能、棒踊りと薩摩の「郷中教育」の影響話
第34回目は、あゝ湯前線:懐かしの湯前線、その昔、夢線路構想があった話
第35〜37回目は、きじ馬(車)考、きじ馬(車)頭部の「大」文字の謎の話
第38回〜42回目は、人吉球磨地方の自然:朝霧、絶滅危惧種の植物や希少生物の話
第43回〜45回目は、人吉球磨地方の特産:たばこ、釜茶、焼酎、球磨檜の話
第46回〜48回目は、人吉球磨の峠道、久七峠、大通峠、子別峠などの話
第49回〜50回目は球磨拳、球磨拳のルーツはモンゴールではないかという話
第51回〜52回目は、編者や読者のページ:ご意見・ご感想を募っています。

  
〒511―1122 桑名市長島町松ヶ島161−2  杉下潤二
         Tel: 090-3856-0715 Email: junji@siren.ocn.ne.jp
 

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