あさぎり町中部ふるさと会

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2017年6月16日

第47回 ふるさと探訪 人吉球磨の峠道(2)

<肥後峠>と<大通峠>
「肥後峠」は九州自動車道の「肥後トンネル」のほぼ真上あたりにあるはずである。このような言い方をしなければならないのは筆者が確認出来ないからである。国土地理院の峠データベースによると、「肥後峠」の所在地は、坂本―人吉線と呼ばれる熊本県道17号線の八代郡坂本村鮎帰と球磨郡山江村万江の境界にある。ところが、地図を見ていただくと分かるが、この17号線は不思議な県道で、坂本側からも、人吉側からも九州自動車道の肥後トンネル(6340m)の入り口や出口あたりで消えている。ツーリングライダーの報告などを見ると、この道の峠付近は、近年は手入れもされている様子はなく、倒木や落石が道路に散乱し、峠あたりは坂本側からも、人吉側からも通行止めになっているとのことである。この近年というのは、おそらく九州自動車道がほぼ真下を貫通してからだそうである。また後でも述べるが、代替道路ができると旧道の峠道は哀れな姿にになってしまう。この道は、球磨川沿いの219号線がまだ無い時代は、人吉と八代を結ぶ最短道路であり、八代市坂本町荒瀬から人吉市に至る主要道であった。西南戦争(西南の役)で薩軍の八代や熊本への進撃路でもあり、負けて退く路の一つでもあった。肥後峠へ筆者もドライブを試みたが引返したので写真はない。幸いにも、サイクリスト楓さんが肥後峠往復旅日記の中で肥後峠の写真を紹介されている。それが図1であり、車が走れる道ではないようである
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図1 肥後峠 出典:@niftyのココログhttp://kaede-tabi.cocolog-nifty.com/blog/
<大通峠>大通峠(おどおり・おおとおりとうげ)は、地図には「大通越」とあり、現地や五木村では「大通峠」となっている。「大通峠」の所在は球磨郡五木村乙であり、五木村役場の前から八代方面に向かう八代市河俣と五木村中村の間にある県道25号・宮原五木線のトンネル上の旧道峠である。トンネルを抜けると、人吉から加久藤峠い至る221号線のループ橋を思わせる大通峠ループ橋があり、平野部の八代市東陽町(昔の東陽村)に至る間の峡谷もまさに、人吉の221号線のループ橋あたりの谷に勝るとも劣らない険しさである。
峠は図2左に示すような「大通峠公園」となっており、ここからからの眺めは素晴らしく、八代海、宇土半島、快晴の日には有明海や島原半島、遠くは雲仙普賢岳まで見渡せる絶景ポイントとなっている。そこには案内板が立ててあって、その説明文の中ほどから、「・・また、南北朝時代には、征西将軍懐良親王が戦いに敗れて五木の里に一時身を隠されたとき、お通りになった道と伝えられています。そのため、大通峠の名は御通峠の転化したものといわれています」とある。
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図2 大通峠(左)とそこからの展望(右)
南北朝時代とは、室町幕府初代将軍の足利尊氏が後醍醐天皇を廃して新たに光明天皇を擁立した。これを北朝側といい、それに対抗して後醍醐天皇は京都を脱出して南の吉野に宮殿をおいた、これが南朝である。1336年から1393年までの56年間のことである。懐良親王(かねよししんのう)という方は、後醍醐天皇の皇子で、後醍醐天皇の意に従わない西域の首領を征伐するための統括将軍にさせられた方で、まだ幼かった征西将軍であった。八代市妙見町には懐良親王御墓があり、八代市松江城町には「八代宮:やつしろぐう」という神社があり、懐良親王を主祭神としている。この大通峠から西へ約7キロ行った所に後述する「子別峠:こべっとう」というのがある。幼き懐良親王が親と別れを惜しんだ峠との言い伝えがある。このことは次回に詳述することにして、「大通峠」を越した先に素晴らしい里があるので紹介する。
それは、生姜(しょうが)栽培量が日本で第二位の東陽町である(日本一の生産県は高知県)。生産量が第二位というからさぞ広々とした栽培地かと思うが、図3のような段々畑である。10月にはショウガ祭が開催される。この東陽町はまた「石工の里」でもある。「種山の石工」は、安土桃山時代に活躍した近江の国の石工「穴太衆:あのうしゅう」と同じくらい全国的に名を知られた石工集団である。人吉球磨盆地をはじめ、近隣のアーチ型石橋は「種山の石工」か、その弟子たちによって築造されたものである。五木村から25号線で走ると、その終点近く443号線との交差点付近が八代市東陽町南の種山地区である。443号線の交差点を右折し、300mほどして左折、橋を渡って100mほど直進した左側に種山石工の歴史や伝統技を紹介した「石匠館」(図4)がある。(つづく、次回は子別峠や不土野峠の話)
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図3 生姜(しょうが)の段々畑       図4 東洋「石匠館:せきしょうかん」
文責:杉下潤二 Tel: 090-3856-0715 Email: junji@siren.ocn.ne.jp

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