あさぎり町中部ふるさと会

あさぎり町中部ふるさと会とは
熊本県球磨郡あさぎり町出身者、及び あさぎり町と
係わりのある方々の中部地区での親睦団体です。

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新着情報

2017年7月20日

「ふるさと探訪」へのメッセージ

掲載:あさぎり町中部ふるさと会ホームページ   期間:H28.7.29-H29.7.28 


昨年(平成28年)7月からの「ふるさと探訪」が前回の第51回で終わりました。生まれ育った故郷のことを少しでも知ってもらい、郷里に対する誇りと自信をもって欲しいとの願いから、
あさぎり町中部ふるさと会の平成28年度事業計画の一環として上田前会長の決断と溝口事務局長の協力のもと始めたものです。この「ふるさと探訪」にアクセスして頂いた方は延べ7000人であり、その多くの方からご意見やコメント、激励やご指摘を私のパソコンやスマホに頂きました。特に毎回のようにお寄せいただいたのは、あさぎり町出身の皆越寛子さん、児玉二美さん、井上静代さん、河野さん、竹本さん、楢木さん、伊東さん、三宅さん、荒木さん、椎屋さん、福島さん、上田さん(中部ふるさと会元会長)、恒松さん(会長)、八重尾さん、岐阜のカネコさん(人吉出身)、長野県出身のます絵さん。それに人吉新聞記者の尾方さん、ふるさと会(関東)からは、元会長の森光啓明さんや事務局の益田ひとみさん。ふるさと関西会からは、ヒデちゃん、八重ちゃん、けさみさん、ユミちゃん、三本松さん、石塚さん、松岡さん、鍋島さん、種村さん、山並さん、尾屋さん、宮原さん(多良木出身)や弟の英宣。遠方では、鹿児島の徳子ちゃん、新潟県の由美ちゃん、北海道のミヨちゃん。あさぎり町会議員では、小見田さん、難波さん、加賀山さん、森岡さん、それにメッセージも頂いた山口議長さん。郷里の岡原からは節ちゃん、綾ちゃん、智子ちゃんなどが「見たよ〜読んだよ〜。初めて知りました!」などとメールをくれました。
名城大学からは吉久学長をはじめ、原先生、小島先生、久保先生、池原元事務局長から度々の激励メールをいただきました。このように、人吉球磨地方出身の方に限らず「ふるさと探訪」にアクセスして頂いた多くの方からメールや電話をいただき、一年間にわたるご愛読、誠にありがとうございました。改めて御礼申し上げます。最後に、編集に携わって頂いた溝口さんの感想文がありますが、溝口さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。
冒頭の愛甲町長さんや山口議長さんからのメッセージを除きますと、以下は、筆者のパソコンアドレスに頂いたものを抜粋し順不同で掲載しましたが、文章の中の私的な部分は前略・中略・後略など入れて編集しましたので、必ずしも読者の方の原文通りではないことを申し添えます。

<「ふるさと探訪」投稿終了に寄せて>・・・あさぎり町長  愛甲一典さん
江戸時代後半から明治の時代に訪れた外国人が、日本の美しい自然と、その自然と共に暮らす人々の素朴で純朴に生きる姿に感動しました。戦前戦後に生まれた世代も、裕福ではありませんでしたが、澄んだ空気、清らかな水、小川には小魚がいっぱいの、豊かな自然の恵みを感じながら育ってきました。残念ながら今では、球磨川の岸辺はヨシや多くの雑草で覆われ、鮎はもとより川魚が激減し、川に親しむ人も少なくなっています。私は毎日の様に球磨川見ながら、子供の頃の様な清らかな川に戻せないかと思っています。杉下潤二様が昨年(平成28年7月から)51回、球磨・人吉の歴史や文化について、「ふるさと探訪」と題して投稿され、多くの方に読んで頂きました。私が町長となった10年前に初めてお会いした際に、ふるさと球磨・人吉に対する愛着、思いの強い人だと感じました。元々は名城大学教授としてご活躍されており、調査し分析することには長けておられたと思いますが、今回の投稿文を読ませて頂き、よく調べていただいているなと改めて感心したところです。球磨・人吉は大きな観光資源がない、都会から遠いなどとハンディがありますが、田舎への回帰の動きが強くなっており、また、日本遺産の第一グループの認定も受け、今後の球磨・人吉の活性化や観光客を増やす取り組みにも、非常に役に立つ連載であったと思います。あさぎり町でも、今年から歴史や文化遺産再調査継承を目的に、専門学芸員を採用し、先ずは全体像を知ってほしいと、この投稿記事を紹介しました。(後略)        

<ふるさと探訪に乾杯>・・・あさぎり町議会議長 山口 和幸さん
杉下先生からメ−ルで「アップしたよ」が届くとパソコンの前に座り、ふるさと再発見の旅への誘い「ふるさと探訪」を見るのが本当に楽しい時間でした。あさぎり町に住んでいて気づいていないことが多く、地域づくりはまず、地域を知ることが大事であります。地域づくりに携わる者として大いに参考になりました。「縄文人は肥薩線に乗ってきた」様々な遺跡・出土品が物語る私たちの祖先は開明的な人達だったはずです。これからもあさぎり町頑張っていきます。お元気でますますのご活躍をお祈りいたします。

<ふるさと探訪をいつも拝見>・・・あさぎり町役場企画財政課 高田さん
(前略)杉下先生がふるさと会ホームページに連載されておられます「ふるさと探訪」はいつも拝見させていただいております。(前略)掲載が最終回を迎えるのはとても残念ですが、またぜひご掲載をお願いします。

<第8回球磨川:舟運、第46回球磨の峠道>・・・球磨村役場 住民福祉課 岩本 紘一さん
・(前略)「ふるさと探訪」の記事読ませていただきました。球磨川の舟運の歴史についてとても分かりやすくまとめられておりました。これにより益々人吉球磨の歴史・文化が全国に発信され、たくさんの方々に興味を持っていただけたらいいですね!写真については、風景や瀬の雰囲気を見る限りでは球磨村のような気がしますし、柳詰芳郎さんは現在も球磨村にいらっしゃいますので、おそらく間違いないと思います。(後略)
・(前略)早速記事を読ませていただきました!やはりその昔交通の要所であった峠道にはロマンがありますね。険しい道を何日もかけて歩いた先人には頭が下がります。私も最近は運動不足なのでもっと歩いたほうがいいかなと思ったところです(笑)(後略)

<第1回から第9回を拝見して>・・・木村好次さん(東京都多摩市:東大名誉教授)
・早速「ふるさと探訪」第1回 と大9回を読みました.あとはとりあえずブックマークを付けて,ゆっくり楽しませていただきます。毎週お書きになるのは大変な作業でしょう。大兄があさぎり町のご出身であり,中部ふるさと会の会長をしておられたことも 分かりました。地図で調べたところ,人吉から元国鉄の湯前線で行くんですね。何年か前,熊本から九州横断特急で人吉へ,そして「いさぶろう」だったか「しんぺい」だったかで,大畑のスイッチバックや三大車窓の一つを楽しみながら肥薩線経由鹿児島へ向かったのを思い出しました。
・(前略)あさぎり町中部ふるさと会の「ふるさと探訪」,51回もお書きになったのですね.しかも毎週.これだけの内容をお書きになるには,さぞかし準備に時間がかかったことと拝察し,敬意を表します.ぼくのトライボロジーに関する連載は高々30回で,しかも月刊誌でしたから多少は楽でした。これで打ち止めというときに,何となく空虚な感じになったのを覚えています.(後略)

<第2回不知火海の謎〜第47回球磨の峠道>・・・本村英輔さん(岐阜在住:八代出身)
・(前略)あさぎり町中部ふるさと会の「ふるさと探訪」大変興味をもって拝読させて頂いています。不知火海の海丘群の謎・妙見さん祭りの「亀蛇(ガメ)」の由来には、以前より疑問を抱いていましたが、第5回の記事にて納得することが出来ました。余談ですが、今年の妙見際に母校の県立八代高等学校同窓会にて神馬奉納を担当する事となり、寄付の依頼が来ているところです。
・球磨川の舟運に関しましても、坂本に十條製紙の工場が有りました関係で「イカダ」が繋留されていたり、平底の丈夫な「運搬船」が繋留されていた記憶があります。参勤交代での槍倒しの瀬も子供の頃よく聞かされました。私は、旧上松求麻村で生まれ育ちました。村名が懐かしく思われます。先生の膨大な資料調査、研究考察には、ただただ驚くばかりです。「ふるさと探訪」は、第9回までプリントアウトして、ファイル保存しています。(中略)(後略)
・(前略)第10回 ふるさと探訪 球磨川拝読させて頂きました。「求麻」→球磨とよばれる様になった所以は、麻栽培が盛んであったところから来ていたんですね!ところで文中、八代群(八代郡)には「下松求麻村(しもまつくまむら)」・・「上松求麻村(かみまつくまむら)」も当然あった。と記憶しています。次回も楽しみにしています。(中略)毎回の「ふるさと探訪」楽しみに拝読しています。今回は、神楽の事も書かれていますが石見神楽の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)は、河川治水を願った神楽との説もある様ですが次回の「球磨神楽」には、どんな物語が込められているか楽しみです。
・肥後峠・大通峠の記事を拝読し、熊本県道路地図を早速開いて見ました。私は、坂本の生まれで母は、鮎帰の出身です。大平ダムまで行った事は、ありますがこの道がどこまで続いているのか?疑問でした。昔の主要地方道だったんですね。大通峠は、このあたりで珍しく360度好展望マークが付いていますね。知りませんでした。中学生の時の遠足で、坂本〜日奈久温泉までどのルートで歩いたか記憶は、定かでないですが峠から少し登った山頂からの八代海の眺めは、今でも記憶に残っています。
・第41回では、夏休み中清流の球磨川に入り浸りで、魚捕りに夢中だった時代を思い起こし、第42回は、実家の下を球磨川が流れ向こう岸も見えない程の濃い霧がたびたび発生した記憶がよみがえりました。今回のお茶の記事では、我が家も自家用のお茶を採るための茶畑がありまして、茶摘みもやらされました。当家も釜炒り茶で、何回も手揉みして出来上がったお茶は、格別な味がしました。今では、味わうことが出来ません。そろそろ新茶が届くかもしれません。                                                 

<第25回軽巡洋艦:球磨>・・・朱子学研究家 福田晃市さん(錦町在住)
先日は、軽巡洋艦「球磨」の件で、お世話になりました。球磨の艦内神社を知る手掛かりとなりました新聞記事を参考送付いたしますので、ご査収ください。今後ともよろしくお願いいたします。(中略)クマソと言えば、あさぎり町の藤島先生(浄土真宗のお寺の住職)が、クマソで町興しに再チャレンジされていました。自分も個人的に気になったので、フィールドワークしたこともあります。というわけで、楽しみです。ちなみに私事ですが、現在「海軍」をキーワードにして、人吉球磨の地域振興に取り組んでおります。その一環として、軽巡洋艦「球磨」の艦内神社として市房山神宮(里宮)をPRさせていただいております。そのツールとしてPVも完成しました。よろしければ、ご覧ください。https://youtu.be/GAwvicJxTRo地域を振興したいという願いは同じだと思いますので、引き続き、よろしくお願いいたします!(後略)

<第26から28回クマソ>・・・クマソ文化研究会会長 藤島紘陽さん(あさぎり町免田)
・球磨郡あさぎり町免田の藤島です。この度は思いがけなくもお便りいただき感謝申し上げます。(中略)また、貴重な先生の論文興味深く拝読させていただきました。私たちの活動に添うものとして大変嬉しく思います。(中略)。バッジ作成には異論はありませんが、問題はデザインです。人によって印象は違うと思いますが、高い文化を持ったクマソのリーダーとして、髭面ではなく、高貴な姿にしてほしかったと思っています。なお、今回球磨人吉地域の人たちに賛同いただいて、クマソ文化研究会なるものを設立しました。理由は、ふと気付くと沢山おられたはずの郷土史家といわれる人たちがほとんど他界されていたからです。これでは若い世代に伝承されないと思った次第です。まだ確かな活動もできませんが、どうか先生のお力添えを宜しくお願い申し上げます。会の設立の背景を書いた文章と設立趣意書を添付させていただいております。(後略) 平成27年(2015 年)8月、あさぎり町須恵文化ホールにて、本目遺跡発掘調査20周年を記念してのシンポジウムが開催されました。私も要請を受け、当時の教育委員として関わっていた立場からパネラーとして参加させていただきました。本目遺跡の発掘調査は、そもそも旧免田町が「クマソ復権」を旗印とした町おこし事業の一環でした。一連の取り組みはマスコミにも取り上げられて、一定の盛り上がりはありましたが、やがて町民の関心も薄れていきました。長続きしなかつた理由は、あくまで「行政主導の事業」だったからだと思っています。というのは、行政は予算が無くなり、担当者が異動すれば、その事業は消滅するということです。しかし、20周年記念事業を機会にもう一度人々の関心を呼び起こし、また盛り上がるのではと、少なからず期待をしていました。(中略)。本目遺跡発掘調査は、あくまでも「クマソ復権運動」の一部であり、20年たった今、新たな展開を期待していただけに残念です。また、これまでの本目遺跡から出土した免田式土器や才園古墳出土の鎏金獣帯鏡などを保存、研究、展示活用する施設が地元にありません。最終的には「クマソミュージアム」(仮称)を建てることを目指すべきだったと考えます。(中略)。行政主導では限界があるのは明白なので、民間レベルでの取り組みを考えました。まず20年前のクマソ復権を提案し、事業の中心的な免田町職員だった山口氏などに呼びかけ、賛同者を募り今回の設立となったのです。

<第24回人吉球磨地方の地震の可能性>・・・栃原往生さん(茨城県土浦市、阿蘇出身)
熊本地震の背景がこんなことだったのかと驚いています。熊工での授業を思い出します。布田川断層帯の起点が、我村・南阿蘇村だった!我実家も被災し、今、家族は、避難施設で生活中です。屋敷の中を活断層が走り、作業場が数M移動したそうです。これだけの、確実な地震情報があるとゆうのに・・・。悲しい現実です。我が国の原発行政・恐ろしい。もんじゅ・六ケ所再処理・柏崎原発・福島#1・泊原発等、東芝関連の原発の仕事を現場経験しました。これらの施設・国はどれだけ断層情報を取り入れたのだろう。愚問かな?まだ、老いを考えたくありません。これを機会に、勉強します。有難う御座いました。 

<第29回〜球磨地方の継承芸能>・・・原 勝子さん(南九州大学教授:あさぎり町出身)
・臼太鼓踊りの記事、よく調べておられますね。小さい頃によく見た踊りで、確かに余所では見かけないものですが、私などはそれだけで通り過ぎてしまいます。歴史的なバックを探るとなるとこれは並大抵のことではありませんね。それをやっておられるので驚きですよ。沈没したという戦艦「球磨」のこともはじめて知りました。私が今まで知っているのはせいぜい戦艦大和くらいです。
・臼太鼓2話も拝読しました。いつもながらよく調べておられますね。これじゃすっかり南九州の歴史通ですね、と感心します。文章が簡潔でくどくないのに核心に触れているのは、やはり研究者の文章ですね。バラ太鼓というのは私、見たことがないような気がします。杉下さんがおっしゃるように皮以前のものなのでしょうね。太鼓そのものが南方楽器ではないのかと私は思っていますがどうなんですか?アフリカにも太鼓があるし、暑い地方で盛んですよね。私は今、人生の最後の仕事に入っています。留学日記をできれば4年位で書き上げ、自費出版したいなと。でも、パソコンの仕事もだんだんと目がしょぼしょぼしてくるし、時間との闘いですよね。B難しい原文を注釈されているのに驚きました。1文字1文字に意味があるのですね。案外エッチな表現で庶民が喜びそうな描写がされているのですね。球磨郡にも神楽があるのは知りませんでした。高千穂の神楽や大和の「おろち」は有名ですが一度も見ていません。観光化していてちょっと抵抗がありました。でも広島の神楽などに比べると衣装も質素で、原型をとどめているのかも知れませんね。(後略)
・魚の話も面白かったですよ。私の知らない魚で、あるいは球磨名前かなと思ったりしました。球磨郡が寒いのは知っていましたが、天草が温かいのは知りませんでした。深田の銅山もお地蔵様の話も知りませんでした。
・(前略)球磨挙、拝読しました。飲み会があるとよくやっていました。しかし、一滴も飲まなかった父や長兄、それに私もそうなのであまりなじみはありませんでしたが、これも地域文化ですね。(後略)

<第29回球磨地方の継承芸能:臼太鼓>・・・田中正人さん(東京工業大学名誉教授)
(前略)拝読しました。学校で教える何とも表面的な日本の歴史と異なり、ダイナミックですね。日本史の教科書も、「縄文」と「弥生」の確執、大和朝廷と熊襲、蝦夷とのせめぎあい、韓半島との交流などを踏まえて再構成すれば一段と面白くなるのに残念です。盛岡の「さんさ踊り」をはじめ、東北地方には大鼓を抱えて打ち鳴らす踊りが各地にあり、類似の踊りが九州から沖縄にまで分布しているとは知りませんでしたが、ソウルで開催された国際会議に出席したときに、同根と思われる踊りがありました。百済の扶余、新羅の慶州にも行ったことがありますが、日本古代の文物と習ったのと同じもの多数が博物館に展示されていました。やはり俯瞰的な視点が必要ですね。

<第29回球磨の継承芸能、第34回あゝ湯前線>・・・山上孝宜さん(稲菱テクニカ元社長)
・歌舞伎や狂言の起源が、天岩戸の前での神楽にあり、2,000年の歴史を経て今日の形になったとのお話、興味深く拝読致しました。2,000年近く前には、日本文化の中心の一つが九州南部の霧島や球磨地区にあったことを知りました。そして中国からの渡来人の文化とうまく融合して発展して来たのだろうと思います。日本の歴史を遡って見ますと、戦前の満州への日本人の移住を除けば、常に人も文化も大陸から持たされて来て、逆流がないことが不思議です。現代の日本の技術や人の大陸への移転が、唯一の逆流かなと思っています。(後略)
・大変内容の濃い探訪記事を発信頂きありがとう御座います。92年の歴史のある地方鉄道が、九州に現存していること知りまして驚きました。そして、その延長案まで中学生が作り、模型を文化祭に出展された と言うことも驚きです。先生が部員のリーダーシップをとり、企画案や模型作りに必死になっておられたお姿が目に浮かびます。(中略)大人になり、どうしてこのような生き方をしているのかと振り返って見ますと、その基礎はすでに小中学生の時の思考や行動にあるように思います。 小生も、実は、小学6年生の夏休みの工作の宿題で、すべて自分の発想で自分の手で、高さ1メータ程のエレベーター装置を作りました。モーターでかごを巻き上げ、かごには照明のランプを付け、木の板に切り込んだ溝をレールにし、その底に銅板を嵌め込んで集電装置と して、走行中もランプが点いているようにしました。今振り返って見ますと、小学生にしては良くやったなと思います。そして学校の代表として市内全体の展示会に先生に同行して、バスに乗り持って行きました。三菱電機で、エレベーターを製造していることも全く知らずに三菱に入り、エレベーターの開発設計に配属され、エレベーターで生活してきたこのご縁は、不思議でなりません。結果的には、大変幸運でありましたし、幸せな人生を送れることとなりました。先生の記事は、おそらく沢山の方が自分の生き様を振り返ってみる好い契機となるのではと思います。

<第31回〜33回を読ませていただき>・・・吉久光一さん(名城大学学長)
(前略)第31回 球磨神楽(1)〜33回 棒踊りを、興味深く読ませて頂きました。大変な力作ですね、とても機械の先生が書かれた文章とは思えないくらいです。教材として採用されたとのこと、遣り甲斐がありますね。嬉しいです。(後略)

<第35回きじ馬考>・・・森光啓明さん(あさぎり町ふるさと会元会長:関東)
(前略)早速読ませて頂きました。キジ車も色々あることは知りませんでした。興味深く読ませて頂きました。 常日ごろ、純粋の球磨岡原出身ではなく、久留米善道寺の言葉の中で育ちましたので、自信はありませんが、キジんま、キジ車両方使ったように思っております。言葉一つにもいろいろなルーツがあることを教えて頂きました。 余談ですが、善道寺に行き先祖らしい沢山の森光のお墓を見てきました。(後略)

<「ふるさと探訪」を教材に>・・・鶴本信也さん(熊本県立南稜高校教諭)
・(前略)南稜高校教諭の鶴本信也と申します。現在、4月に開校する南稜高校の開校準備室で業務を行っています。新校の南稜高校では、「球磨農林学」を学校設定科目とし、郷土愛を醸成し、地域を担う人材育成を目指します。その中で、杉下様の文献を教材として使用させいただけないかのご相談です。あさぎり町中部ふるさと会の記事拝見いたしました。私も岡原出身で、先祖は天草からと聞いていたので、興味を持って読みました。よろしければ、もっと球磨の魅力を杉下様に御教授いただければと思っています。
・(前略)今回の「ふるさと探訪」の記事は、神殿原飛行場を検索したらヒットしたものですが、杉下様のお話は以前、池本前校長からも伺っておりました(中部ふるさと会に参加した時の話)。「球磨農林学」では一年次、「球磨を知る」二年次、「球磨を体験する」そして三年次の課題研究で「球磨を創造する」というテーマで学習を深め、地域に提言できるような取組になればと考えております。杉下様のお力添え心強く感じます。データとして提供して頂けるとの話、ありがとうございます。大変助かります。また、生徒に球磨の魅力を語って頂ければ幸いです。(後略)
・「ふるさと探訪」楽しみにして拝読させていただいています。恥ずかしい話ですがサトガラがどういうものかわからず、調べてみました。すぐ思い出しました。井口川沿いに生えていて、竹みたいな、折るとポンと音がするやつですね。小学生の頃、学校帰りに皮むいて食べていました。なつかしいですね。「球磨農林学」では身近で食べられる山菜、野草についてもやってみると面白いのかと考えました。貴重なヒントありがとうございます。
・ふるさと探訪、毎回楽しみにしています。湯前線の記事を拝見しました。湯前線を延長して宮崎県妻までつなげようとする計画があったことには、ロマンを感じました。そういえば、免田駅も現場所より人吉側(永才あたり)に作る予定だったが、球磨農業高校があったので現在地になったと聞いたことがあります。また、先週の棒踊りに関する記事を読んで思い出したのですが、杉下様の地区(別府)には太鼓踊りがあって、踊り手は農家の長男に限定されていました。私の同級の田原英樹君がやっていた記憶があります。まだ、伝承されているのでしょうか。  
                        
<第39回 人吉球磨の自然2>・・・チョウの研究家 杉坂美典さん(愛知県岡崎市)
チョウの研究をしている杉坂美典と申します。台湾のチョウの研究をしていまして,今年は,6月14日〜9月14日まで,約2ヶ月少々,行ってまいります。チョウに関わるニュースをネット探していたところ,貴殿の記事を見つけました。とてもよく調べておられますが,和名がちがっていて,正しくは,ゴイシツバメシジミと言います。最後にチョウは着きません。名前は,とても大切ですので,訂正ができれば,変更していただけると,今後,見られた方々の混乱を避けることができると思います。(ご指摘により原稿は訂正しましたが、アップされた文章は未修正です:筆者)

<第38回〜42回人吉球磨の自然>・・・原 彰さん(名城大学名誉教授:宮崎県出身)
・あさぎり町の名前の由来が良くわかりました。第40回に絶滅危惧種ミクリの話が出ていましたが,名古屋には才井戸流という湧水地があり,ホタルも飛ぶ自然豊かな場所があります。そこには,ミクリ,ヤマトミクリ,ナガエミクリのミクリ三兄弟を確認することができます。
・先生はイタドリと書いていますが,宮崎ではサドと言っていました。イタドリの名前は退職してボランティア団体で山菜を食べ始めて初めて知りました。それは同じようにぽっきり折って,皮を剥いて食べるだけでした。もう一つはツバナ(チガヤ)です。河川敷で白い穂を出して群生しています。葉の中に包まれている状態のときに,葉から出して食べていました。今,私はカワラナデシコ(日本の固有種,別名ヤマトナデシコ,秋の七草の一つ)の栽培とカザグルマ(日本の固有種,中国ではテッセン,園芸種ではクレマチス)の栽培をしています。(中略)カザグルマは活動していた場所で自生していたのですが消滅(多分盗掘)してしまったもので,私は挿し芽により一株だけ根付かせるのに成功し,1回だけ花を咲かせましたが,家内に冬に枯れていると思われ根こそぎ捨てられてしまいました。種子発芽は難しいのですが,昨年種皮を剥いてバーミキュライトに入れていたものが4株,発芽したので,今地植えで観察しています。(中略)カワラナデシコ、昔は河川敷に普通に見られていたようですが,先生は散歩中に見ることはありますか?

<第46回〜48回球磨の峠道>・・・小嶋仲夫さん(名城大学名誉教授、熊本県水俣出身)
(前略)西郷郡の行きと帰りを改めて思い返し、三太郎峠の意味に郷愁を感じています。(後略)
(筆者注:「三太郎峠」というのは、八代から芦北を通る八代海沿岸の国道3号線の三つの太郎峠:「赤松太郎峠」、「佐敷太郎峠」、「津奈木太郎峠」のことであります。このほかにも、小嶋先生からは沢山のご感想や激励メールを頂きましたが紙面の都合で割愛いたしました。)

<第49回〜51回、拝読しました>・・・尾家 亮さん(ふるさと関西会顧問)
・(前略)球磨拳ですが、幼少のころ、おっさんたちが焼酎のみながら、にぎやかに騒いでいたこと先生の記事を拝見しながら思い出しています。田舎をでて60数年、帰省しても一年に一回ほど一泊人吉のホテルに泊まるくらいで全く、昨今見たことありません。でも、人吉、球磨に根付いた文化であれば、文化保護の有志によって遺すことが必要かもしれません。でもお年寄りが年々減少し若い人たちが都会志向の現代どうなるのでしょうか?やはり、文化として存在すれば貴重な資料として永遠に遺るものと思います。(後略)
・(前略)ふるさと探訪を拝見しました。お忙しい先生が、よくここまで田舎のことをお調べになったと感心しています.小生は、田舎といえば、市房山に上ったくらいで、他の場所はどこも知らないほどで、帰省してもまったく、どこへも行っておりません。したがいまして、先生の文章を拝読しながら一つ一つ感心しております。全くの田舎音痴です。これから、小生のような人間が多くなり田舎は「遠くにありて思う」ことではなく、完全に忘却の彼方になってしまうような気がします。そのようなことで、前回も記しましたようにやはりそのまま文章として遺されますと、後世の人たちが「おらがふるさと探訪」として末永く読み続けてくれるものと存じます。でも、小生自身引退した暁には、少しくらい田舎探訪もよいのではと考えています。それまで、健康に留意して頑張って参ります。これからも新しい情報をよろしくお願い申しあげます。

<編集アップ作業に携わって>・・・溝口征男さん:中部ふるさと会事務局長
HP担当の溝口です。「ふるさと探訪」が無事に完結されて本当に杉下さんのご尽力に一読者として感謝しております。HPに載せる原稿を杉下さんからメールに添付されて送信されて来るのですが、原稿がA4であさぎり町のHPにアップする領域が限られており、こちらで編集が大変でした。写真のサイズも様々でそのままでは大きな画像を編集出来ませんので写真やExcelのグラフをリサイズしたり、拡張子を換えたり写真の比率を換えたりとHP公開にあたり、読者の皆さんと杉下さんの顔を思い浮かべながら、なんとか無事に最終回までたどり着き今は安堵しております。
最後まで応援して頂いた読者の方々に感謝申し上げます。

<最後に、筆者(杉下潤二)からひと言>・・・
1年間、51回に分けて貴重なホームページを割いていただき掲載させて頂きました「ふるさと探訪」へのアクセス数が多かった記事のベスト3は、1.第43〜44回の球磨の物産、2.第35〜37回のきじ馬考、3.第38〜39回の球磨の自然でした。郷里、または郷里出身の皆さんに、私たちが一番読んで、知って頂きたかったのは人吉球磨の歴史や文化でしたが、読者の多くは郷土の物産や自然にご関心が高いことがわかり、郷土愛はまだまだ健在だと安堵いたしました。これらの「ふるさと探訪」を見落とし、読み落としの方があれば当分の間は、アクセスは可能だと思いますのでご笑覧いただき、「もういちど球磨」として訪ねていただければ幸いです。

                            文責:杉下潤二  編集:溝口征男

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