2016年8月12日
その1)妙見さんは呉の国の渡来人
熊本県八代市には奇妙な祭りがある。「八代妙見祭」とよばれている祭で、この地区の河童渡来伝説と考え合わせると「球磨んモン」のルーツを探る糸口が隠されている。
妙見祭は八代神社の秋の例大祭であり、11月22日と23日に行われる。なかでも23日には獅子や笠鉾(かさぼこ)、亀蛇(きだ)が参加する神幸行列があり、特に神社近く水無川(みずなしがわ)の砥崎河原(とさきかわら)で行われる勇壮な亀蛇(きだ)の演舞は迫力満点である。この行事は、今から約1300年前に中国から妙見神が亀蛇に乗って八代に上陸したという故事にもとづいて行われている。この亀蛇については後述することにして、まず妙見さんのことについて触れておこう。
八代神社は妙見宮(みょうけんぐう)とも言い、親しみを込めて妙見さんと呼ばれる。「妙見」から明らかなように、神道と仏教の宮寺であるが、1871年(明治4年)、明治新政府の神仏分離令(しんぶつぶんりれい)により、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)や国常立尊を祭神にして社名を八代神社と改めた。この天之御中主神という神様は、「古事記」では、天地開闢(てんちかいびゃく)の際に高天原に最初に 出現した神さまである。日本書紀では古事記とは異なって国之常立神(くにのとこたちのかみ)となっている。よく知られている天照大神よりも古い神様で我が国の最古神である。
図1左 八代神社(妙見宮)(熊本県八代市妙見町405)
右 竹原神社(竹原宮)(熊本県八代市竹原町2223)
図1左が妙見さん、「八代妙見祭」で知られる八代神社、図1右が竹原神社(竹原宮)である。まず、八代神社(妙見宮)は、八代ICで国道3号線に出て九州自動車道の下をくぐった所で国道を斜め方向左折すると約500mの場所にある。竹原神社(竹原宮)は、新八代駅と八代駅のほぼ中間にあり、八代駅の北北東約900m、鹿児島本線の線路南すぐに鎮座している。現在の八代神社からは北西に約2Kmのところである。この竹原地区は、現在の八代海岸より5〜6km奥まった内陸地であるが、当時はここまで海域が拡大していて八代港の岸壁であり、もともとこの地こそが、妙見由来碑にあるように、妙見神が渡来した竹原の津という港の跡である。
そもそも妙見信仰は北極星や北斗七星を崇めるものである。道教(どうきょう)に由来する古代中国の思想では、北極星は天帝(天皇大帝)と見なされたから、天地開闢時の始祖神である天之御中主神や国之常立神を祭神としたわけである。
しかし時代的背景もあった。それは、明治政府が進めた神仏分離政策である。
つまり、新政府は皇祖神信仰を進めるための神仏習合(しんぶつしゅうごう)を廃して神仏分離や廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)政策を推し進めた。現在の八代神社もまたその策に沿って無難な二柱の最古皇祖神を祭神にしたというわけである。ちなみに、竹原神社の祭神は天之御中主尊である。しかし市民にとっては、最古の皇祖神を祀る八代神社より、妙見菩薩仏教における信仰対象として存在している妙見さんの方が親しまれ崇められ尊ばれている。なぜかと言うと、境内に建立されている妙見由来碑の正面の冒頭には次のようなことが書かれているからである。
「妙見神は聖なる北極星・北斗七星の象徴なり。妙見神の来朝 天武天皇の時代の白鳳9年(680)、妙見神は神変をもって、目深・手長 ・足早の三神に変し、遣唐使の寄港地、明州(寧波)の津 より「亀蛇」(玄武)に駕して、当国八代郷八千把村竹原の津に 来朝せり」
二行目からを少し分かりやすく書き換えると、天武帝の白凰9年(680年)の秋、中国明州(今の浙江省)の寧波から目深検校・手長次郎・足早三郎の三人に形を変え、亀蛇の背に乗って海を渡り、八代郡土北郷八千把村竹原津に上陸された、の意味で、今から千三百数十年も昔の7世紀、中国浙江省寧波市あたりから海を渡って八代の港にたどり着いた人があったということである。果たして、この碑文の内容は人吉球磨地方とどのような関わりがあるのであろうか、次回からもう少し掘り下げてみる。
<つづく>
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