2016年10月 7日
筆者の郷里(熊本県球磨郡あさぎり町岡原北)の実家の近くには、図1のような石碑が立っている。何の石碑か分からないまま、石碑の傘の上に石ころを投げ上げる遊びをしたことや、この石碑の前に豆腐屋さんがあり、「かないさんに行って豆腐買ってきてくれ」なんて言われた記憶があるくらいであった、しかし、近年になって、人吉球磨地方などでは、「庚申(かのえさる)」のことを「かないさん」親しみをこめて呼ぶこと、そして、この石碑は庚申塔(こうしんとう)とか庚申塚(こうしんづか)ともいいというものであること、さらに、これは道教に基づく庚申信仰がこの地にも根付いていた証であることを知った。これまで気にも留めずいたこの石碑が、実は、今から300年位前の人吉球磨地方のあちこちに建立され、一番古いものは球磨郡錦町、迫の庚申塔(図2)であり、次頁に示す須恵平等寺の庚申塔(図3)も相当古いものであることを知った。
九州におけるこの庚申塔の数は国東半島に最も多くて約700基、次いで多いのが人吉・球磨地方で、約600基とされている。この数は庚申信仰の強さや広がりを示している。錦町迫の庚申塔は天文3年、1534年の建立であり、あさぎり町須恵地区にある平等寺の庚申塔は、天文4年、1535年の建立である。ちなみに、九州でもっとも数の多い国東半島で最古のものは永禄11年、1568年のものであり、球磨盆地の庚申信仰は国東半島より30年も早く鎌倉より130年も早かったことにる。
図1 あさぎり町岡原の庚申塔(岡原北) 図2 錦町迫の庚申塔(木上北)
30年も早く、鎌倉より130年も早かったことになる。
では、人吉・球磨地方に広まり信仰されたこの庚申信仰とはいかなる信仰なのであろうか。庚申信仰は道教を基づくものであるが、その道教とはどんな教えかということから述べよう。道教は漢民族の土着的・伝統的な宗教であり、儒教・仏教と合わせて中国三大宗教と言われるものである。少なくとも平安・奈良時代に伝来したと考えられ、江戸時代の1700〜1800年代には盛んにこのような庚申塔や庚申堂および、後ほど述べる青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)が建立された。
今でこそ庚申信仰に関わる催事はないが、道教に基づく習俗は現代でも継続している。たとえば、安倍清明(あべのせいめい)の陰陽五行思想。この陰陽五行説に由来する八卦(はっけ)や易(えき)、五月端午の節句や桃の節句、ひな祭り、七夕、節句料理(おせち、七草粥)、鯉のぼり、盆の行事やお中元。針や鍼灸や漢方薬などの東洋医学、さらに、健康療法として知られる「氣功」や「太極拳」もそうであり、日光東照宮の「不見・不聞・不言」の三猿像も道教に関わりがある。仏教における信仰対象の1つである青面金剛明王(しょうめんこんごうみょうおう)、など列挙したら切りがない。この青面金剛明王はインド由来の仏教尊像ではなく中国伝来の道教思想に由来し、庚申信仰の中で独自に発展した尊像である。この明王さまは、庚申信仰行事において、どんな役目をなされるのかは後日くわしく述べることにするが、球磨郡山江村の西川内(にしごうち)には庚申橋(かないさんばし)と名付けられた橋(図4)もあって、庚申信仰の名残は今も身近に球磨地方にはある。<続く>
図3 あさぎり町須恵平等寺の庚申塔 図4 山江村の庚申橋(かないさんばし)
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