2016年12月23日
読者にぜひ「ふるさと探訪」していただきたい人吉球磨・数百万年の悠久の場所を二回にわたり紹介する。はじめは、球磨総合運動公園で見られる古代人吉湖の湖底堆積層の露頭である。場所は、人吉方面からだと、国道219号線を球磨村の方へ進むと、球磨村に入ってすぐ、「球磨総合運動公園」の看板があり、国道から斜めに右折進入したところである。
著者は以前に、人吉球磨盆地は100万年前まで湖であったことを「縄文人は肥薩線に乗って」という冊子で紹介した。100万年前までに湖の底に堆積していた地層が隆起して、いま我々が容易に手に触れ、見ることができる場所である。そこが球磨村の球磨総合運動公園の大露頭であり、貴重な古代地層のフイールドミュージアムとなっている。フイールドミュージアムというのは、地形や地層などの古代からの自然遺産を地域住民が主体になって現地保存展示する場、野外博物館のことである。ちなみに、生物と環境など生態学を中心とする場合はエコミュージアムという。
図1がその大露頭の遠景である。地層は白色と茶褐色の層が交互に堆積している。現在はこのカットされた面での地層しか観察できないが、湖が約250万年前に形成され100万年前に消失したとすれば、150万年間の地層が地底方向にも堆積していることになる。地層の最大厚さは600mになるそうである。堆積層の拡大写真が図2である。
茶褐色の部分は火砕物で、肥薩火山群(肥後と薩摩の国境付近にある古代火山群)の噴火による火山灰や噴石等が堆積したものである。
白い層は人吉層とも呼ばれ、湖の中の微生物、例えば、図3に示すような珪藻と呼ばれる単細胞の植物プランクトンの死骸(化石)である。この図はウィキペディアに紹介されているヘッケルという人の珪藻のスケッチ画である。この人吉層と火砕物層は150万年にわたって幾重にも重なって露出した断崖になっているが、最下層は約1億年前の四万十累層、その次が200〜300万年前の肥薩火山群の噴火による火災物、その上が30〜50万年前の下門火砕流や加久藤火山による火砕流堆積物である。もちろん、9万年ほど前の阿蘇4火砕流や2万5千年ほど前の入戸火砕流などの堆積物もあるが、人吉湖が存在していた頃の火山や火砕流といえば、やはり200〜300万年前に熊本、鹿児島、宮崎の県境あたりに散在した火山(肥薩火山)の噴火活動による火災物が湖面に落ち、沈殿堆積したもので、茶褐色層がそうである。
人吉に最も近接していた火山は人吉市鹿目町(かなめまち)の鏡山であり、今でも航空写真では火口の輪郭が確認できる。
前頁で「フイールドミュージアム」ということばを使ったが、残念ながら球磨村の古層はフイールドミュージアムにはなっていない。たしかに、地質学者であり、人吉球磨地方で長らく教師をしておられた原田正史先生監修による相当詳しい解説パネルの展示があるにはあるが、露頭位置より相当離れた位置であり、肝心の露頭壁はグランドに接しており、ゆっくり見上げて歩けるほどのスペースもない。どうみても、ここは運動場を主眼にした場所である。したがって、219号線の国道入り口には、総合運動場の看板はあるが、人吉層露頭の案内標識もない。火山活動による火山灰堆積物や地殻変動による地層の歪みなど一般通行者が容易に、しかも交通に気兼ねなく観察できるようになっている「鹿児島フイールドミュージアム」を早く見習ってほしいものである。
<つづく:次回は、約30万年前の加久藤火山噴火がもたらした火砕流に伴う風景が人吉球磨地方にも残っていることを紹介する>
文責:杉下潤二 Tel: 090-3856-0715 Email: Junji@siren.ocn.ne.jp