2017年2月17日
臼太鼓踊りのルーツ探しにおいて避けて通れないのが南九州地方の「熊襲踊り」や「バラ太鼓踊り」、それに沖縄の「エイサー」や「ウスデーク」(臼太鼓踊り)である。どんな踊りかというと、まず、熊襲踊りは図1のように、背にしめ縄を背負い、胸から腹にバラ太鼓を抱え、鉦やバラを打ちながら「高い丘居から熊襲じゃないか鬼か鬼人か化け物か」などと唄って、走り、転げながら踊るものである。起源は熊襲征伐の祝い踊りとされているが、勇敢な熊襲先祖の鎮魂踊りであると筆者は思う。バラ太鼓の「バラ」とは、バラ竹と称する竹で編んだ丸い笊(ざる)や箕(み)のようなものである。鹿児島県姶良市蒲生町の「漆バラ踊り」は、編んで作った竹バラに和紙を貼ったバラ太鼓が用いられる。皮をはった太鼓ができる前の初期の太鼓はこんなものだったのかも知れない。
図1熊襲踊り(都城市庄内) 図2大バラ太鼓踊り(日置市伊集院)
図2は、鹿児島県日置市伊集院の大バラ太鼓踊りである。太鼓は、直径1.5mの大太鼓を使用している。このようなバラ太鼓を利用した太鼓踊りは、先の鹿児島県日置市伊集院町の「徳重大バラ太鼓踊り」、また先の宮崎県都城市庄内の「熊襲踊り」、都城市山田町中霧島の「山内一バラ踊り」、東諸県郡国富町諏訪神社の「バラ太鼓踊り」など、3世紀頃の熊襲や7世紀頃までの隼人族の地とされるこの南九州で伝承されている。これらの事を考え合わせると、臼太鼓のルーツはこのあたりかも知れない。しかし、もっと南からの可能性も高い。
沖縄や奄美諸島では図3に示すような、躍動的でリズミカルな「エイサー」が踊られ、沖縄本島北部では「臼太鼓:ウシデーク」が盛んに踊られている。
図3 締め太鼓のエイサー 大太鼓のエイサー
これらの踊りは「念仏踊り」の影響を受けて進化発展してきたとされている。「念仏踊り」のルーツといえば、香川県綾歌郡綾川町滝宮に伝わる雨乞いの踊りであるが、時期的には9世紀であり、九州や沖縄の臼太鼓踊りには結びつかないように思う。臼太鼓踊りの起源はいつ頃か、というのははっきりしないが、どこから伝わってきたかは次の図4と図5からおのずと推察できる。図4は九州南部における臼太鼓踊りの分布であり、人吉球磨盆地は密である。図にはないが奄美大島には「ほうらしゃ六調太鼓」という踊りがある。図5は沖縄本島北部の「臼太鼓」の分布で、音楽学の小林公江氏の「沖縄本島北部の臼太鼓」をもとに筆者が作図したものである。やはり「臼太鼓踊り」は南からやってきていたようである。
<つづく:次回は球磨神楽➀>
図4 九州南部の臼太鼓踊り分布 図5 沖縄本島北部の臼太鼓の分布
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