2017年3月23日
平成20年(2008年)の春、福岡市立博物館で「きじ馬」の企画展示があった。そこには、これまで見たこともない「きじ馬」や「きじ車」が展示されていた。「きじ馬」と言えば人吉、人吉の玩具と言えば「きじ馬」しか知らない筆者にとっては、まさに「目からうろこが落ちる」の心境であった。そのときの感動を思い出しながら今回は、郷土の玩具である「きじ馬」、または「きじ車」について推考する。
「きじ馬」とか「きじ車」というのは人吉だけのお土産かと思っていた筆者にとって、人吉以外に、大分県や福岡県でも製作されていることは驚きであり、多良木産の「きじ馬(車)」もあったことなど全く知らなかった。「きじ馬」や「きじ車」には三つの系統がある。一つ目は大分県の北山田系、二つ目は福岡県の清水(きよみず)系、三つ目は人吉系である。その代表的な「きじ馬」や「きじ車」の幾例かをご覧いただこう。画像は断りのない限り、福岡市立博物館展示のものである。
図1は、北山田系の「きじ馬」で、大分県玖珠郡玖珠町(くすまち)の北山田の「きじ馬」である。図2も北山田系の「きじ馬」で、大分県日田市源栄町(もとえまち)皿山(さらやま)の「きじ馬」である。筆者が「目からうろこ、、、」だった最初は、この「きじ馬」であった。よく見慣れていた人吉の「きじ馬」とは似ても似つかぬ形と色合いであったからである。
一番の驚きは、色彩がなく背中に「鞍」のような何かが載っていて、下向きの顔がついていることである。こんな特徴については後で詳しく述べることにして、北山田系のやはり変わった「きじ馬」や「きじ車」がある。
図3は福岡県うきは市吉井町の「吉井のきじ車」であり、図4は、福岡県久留米市北野の「北野のきじ車」である。先の二例とは異なるところは、背中に鞍のようなものがある点は同じであるがうつむきの顔や頭部がないことである。「吉井のきじ車」も北野の「きじ車」も、彩色も控えめになっているが、頭が小さく尾は長く、胴体はふっくらとして、形は鳥のキジそっくりであり。しかし、先の図1と図2との違いは形だけではない。「馬」と「車」の違いである。
「馬」と「車」、このことについても後で詳しくのべることにするが、田舎での筆者は「きじんま」ではなく「きじぐるま」と呼んでいたような気がする。
図1 北山田の「きじ馬」 図2 小鹿田の「きじ馬」
読者諸氏は「きじ馬」と「きじ車」、どちらの呼び名に馴染みがあるだろうか。
図5は、福岡県みやま市瀬高町本吉(もとよし)の「清水寺のきじ車」であり、図6は福岡県福津市津屋崎町の「宗像(むなかた)のきじ馬」である。筆者の二つ目の「目からうろこ・・」これらの作品である。背に「鞍」があり、なんと車が四つ付いているからである。四輪の「きじ馬」は福岡県大牟田市三池にもあり、清水寺の「きじ車」とよく似た「三池のきじ馬」と呼ばれものがある。
図3 吉井の「きじ車」 図4 北野の「きじ車」
図5 清水寺の「きじ車」 図6 宗像の「きじ馬」
人吉系「きじ馬」の形や色彩は周知のとおりである。「きじ馬」の起源や込められた願いを知るには、他地域の「きじ馬」や「きじ車」のことを知るのも近道である。次回は、➀ハトやカラスでなく、なぜ「キジ」なのか、Aキジなのに、なぜ「車」や「馬」の名があるのか、Bキジは二本足なのに、なぜ、二輪と四輪があるのか、C人吉系のきじ馬は子供が跨って乗れるほどの大きいものもあるが、これはもはや遊具なのか、D最大の謎は、なぜ、人吉系の「きじ馬」の頭には「大」の字が書いてあるのかなどについて推考する。
(つづく:次回は「きじ馬考」そのA)
文責:杉下潤二 Tel: 090-3856-0715 junji@siren.ocn.ne.jp