2017年6月23日
<子別峠><不土野峠><槻木峠><湯山峠><横谷峠>
前回、「大通峠」から西へ約7キロ行った所に幼き懐良親王(かねよししんのう)が親と別れを惜しんだと伝えられる「子別峠」という峠があると書いた。そんな言い伝えなら「こわかれとうげ」と読むのかと思っていたら、図1左のような「こべっとう」と読むと看板にあった。この近くにはもう一つおかしな読み方をする峠がある。この子別峠から東へ約8キロのところの八代市泉町仁田尾の峠の名は「朝日峠」と書いて「わさびとうげ」と読む。
さて、図1右の子別峠とは、五木村平沢津と八代市泉町栗木間にある県道247号・久蓮子(くれこ)落合線の峠のことである。ここに行くには、大通峠からだと西へ約7〜8キロだが、人吉球磨地方からは遠回りになる。五木役場前あたりから445号線を北上して247号線に入り西北へ進む道の方が近い。役場前から約10キロであり、峠にさしかかるとススキの穂が迎えてくれる。この峠の謂(いわ)れは、懐良親王のほかに、案内板にあるように、「・・かって、五木村の娘たちは7〜8才になると町に奉公に出され、その出発の日に親はこの峠まで子供を送り、先の身を案じて別れを惜しんだ・・」とある。
図1 子別峠の看板(左)と子別峠付近のススキ(右) 標高996m
図2 不土野峠の石碑、手前が水上村、奥の方が椎葉村方面、標高1070m
図3(右端)槻木峠の遠望:黒原山の左裾野鞍部が槻木峠、標高747m
五木の子守歌の歌詞と思い浮かべると、峠の名の由来はこちらの方がふさわしいと筆者は思う。
<不土野峠> この峠は市房山(1721m)、江代山(1607m)、
次に述べる「湯山峠」のほぼ真北にあたる。ここへ行くには、水上村役場前から市房ダム湖を右に見ながら142号線を約16キロ北上すれば、水上村と椎葉村の境界が峠である。この峠は古くは「江代越」と呼ばれ、椎葉から峠を越えて江代の平畑(たいらこば)や古屋敷に、楮(こうぞ)や茶、麻、シイタケが運ばれた。江代側からは、日用雑貨が椎葉にもたらされたとのことで、昔から椎葉から球磨地方への交易路として利用されていた道である。秋だと、この峠の近くでも白いススキの穂が迎えてくれる。政府軍が追撃し、西郷軍が退却して球磨盆地の人吉で最後の決戦をするために越えた峠道である。
人吉球磨盆地の山の端の峠道は、みな西南戦争時の進撃と退散の峠道である。西南戦争というのは、明治10年(1877) 2月、西郷隆盛を総大将に約13000名の兵を従え鹿児島を出発、加久藤を越えて人吉に入り、球磨川を下り、八代に上陸して熊本に向かい、熊本城の政府軍と戦った。しかし、政府からの援軍も加わり薩軍は劣勢となり、9月に故郷の城山で西郷隆盛が自決するまでの約7か月の国内最大の内戦のことである。薩軍が最初の進撃のときに越えた峠が前述の堀切峠や久七峠など肥薩の峠道である。しかし、城東会戦(熊本城より東側:今の健軍や大津、それに御船地区などでの官軍と薩軍の野戦のこと)に敗れた薩軍の退路は、肥後峠、大通越や五木越、皆越や温迫峠、槻木峠、国見峠、不土野峠、もちろん、最後は肥薩峠の堀切峠や久七峠であった。東は不土野峠、西は肥後峠などから追って来た官軍は、5月に、村山台地に砲台(現在の人吉西小学校付近にあり、西南の役官軍砲台跡)を構え、人吉城の薩軍を攻撃した。薩軍の砲弾は市街地を飛び越えることもなく市街地に着弾したので市街地は火の海と化し6月には人吉城は陥落した。
<槻木峠><湯山峠><横谷峠> 前頁の図3は「槻木峠」であり、中央に見える黒原山の左裾の窪んだ部分を抜ける道の峠である。143号線の旧道を進むと黒原山の裏側を斜め後ろに仰ぎ見る位置が槻木峠にあたる。ここもトンネルで抜けることができるようになったので、やがてこの峠道も忘れ去られることだろう。この峠から約10キロ下った所に槻木大師堂があり、そこに巨大な丸石
(直径1.4m、重さ4トン)が鎮座している。
図は省略するが、「湯山峠」は球磨郡から市房山を見たとき、市房山の左側を走る388号線の水上村と椎葉村の境界にある峠である。峠の先は宮崎県の日向市方面へ通じている。この峠から約30キロ進むと宮崎県の美郷町南郷地区である。ここには白村江の戦い(663年、倭国・百済連合軍と唐・新羅連合軍の戦いのことで、倭国・百済連合軍は敗北した)に敗れた百済王ないしは遺民(王朝が滅びたのちも生き残って、教えと伝統をまもり忠節を尽くす民のこと)を祀った神社がある。百済王であるか否か真偽のほどは別にして、遺物や出土品から、王族級の遺民であることは間違いない。「横谷峠」も図を省くが、市房山の右側を走る219号線の湯前町と西米良村の境界にある峠である。峠の先は古墳の里・西都市方面にのびている。熊本県側の横谷トンネル入り口には峠茶屋があったらしく、いまも「うどん・そば・・・峠の茶屋」と書いた看板が朽ちながらもまっすぐ立っている。この峠には西米良村営バス停があり、村所と湯前駅行きの時刻が書いてある。(次回は球磨拳の話)
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