2017年7月14日
清願寺ダムは、熊本県球磨郡あさぎり町上の皆越地区にある灌漑(かんがい)と洪水調節を目的としたダムである。1969年(昭和44年)に着手し、10年後の1978年(昭和53年)に完成した。このダムの型式はアースダムというもので、主に土を材料にして作られたダムである。土堰堤の高さは60mあまり、日本一の高さと言われている。図1が清願寺ダム位置と免田川(赤線)を示す人吉球磨盆地の航空写真である。いよいよ今回が最終回であるが、筆者はこの「ふるさと探訪」を連載するにあたり、この写真を何十回と眺め、球磨川の流れの急変、黒ボク土、加久藤凝灰岩や旧石器・縄文時代の遺跡分布、球磨盆地南縁断層の存在、人吉球磨湖が存在したことなど、探訪記事の中でも紹介した。しかし改めて眺めてみると、数千か数万年前からの免田川の「あばれ」程度が風景として今でも痕跡として残っていることに気づいた。それはこの写真からも明らかなように、盆地平野部で黒か灰色の部分は黒ボク土であり、約1万年前の火山灰土と動植物遺骸の腐植土からなっている。しかし、球磨川流域や免田川流域の黄白色部分は約2万年前までの沖積層であり、河川の氾濫によってもたらされた堆積物層である。最終の今回はその免田川(めんだがわ、地元では、めんだごう)と清願寺ダムの話である。
図1 人吉球磨盆地の地層と清願寺ダムと免田川
この清願寺ダムへ流入する川は、大きく分けて2本ある。一つは皆越の立野(たての)地区を流れる立野川、もう一つは皆越の中村(なかむら)や白髪野(しらがの)地区の谷川で、地元の人に、「○○谷」などと呼ばれているのだろうが、国土交通省の河川一覧には名称不明とある。いずれも白髪岳や小白髪岳の真北に位置する空の広い山地の谷川である。
人吉市の国道221号線から湯前町の219号線までの人吉球磨南縁の山地から球磨川に流入している川は、免田川などおよそ20本ある。名称不明のものを含めると約50本の川が南縁山地の水と土砂を球磨川へ運んでいる。中でも最大の土砂を運び堆積させたのがこの免田川である。
免田川はあさぎり町上・皆越の清願寺ダムの水に西平川など支流水を合わせ流れる全長約9Km、川幅は10数メートルで今は穏やかな流れの川であるが、同じ球磨盆地の南縁山地から流れくる井口川や都留川に比べると比較にならないほどの「あばれ川」であった。というのは、もともと人吉球磨盆地は、構造運動により形成された盆地(構造盆地)と考えられており、湖沼堆積物や、火山性堆積物、約200万年前から南九州が反時計回りに回転し九州の西側を分裂させる地殻変動が始まり、入り江あるいは低地が形成された。続いて肥薩火山群の活動によってこの低地形の西側が塞がれ「古人吉湖」と呼ばれる湖となった。この湖は約100万年前までに消失し、その跡に残されたのが人吉盆地である。このことについては拙著「縄文人は肥薩線に載って」(熊日出版)で詳しくのべた。人吉球磨盆地は鬼界カルデラから阿多カルデラ、姶良カルデラを経て加久藤カルデラに続く火山性地溝帯の延長線上に位置し、「ローム台地」と「砂礫(されき)台地」とからなっている。「ローム層」というのは、火山灰が風化、堆積してできた地層のことで粘性質の高い土壌であり、数万・数十万年前の火山性堆積物である。「砂礫台地」の「砂礫」とは砂と小石のことで、地質学では粒径が2〜16分の1ミリメートルのものを「砂」、2ミリメートル以上のものを「礫」と呼ぶ。この「砂礫台地」こそが、河川氾濫による堆積物、免田川が運んできた土砂による台地である。もう一度、前掲の写真(図1)を見ていただくと、黒く灰色がかった地域が黒ボク土(火山灰や腐植で構成されたもので、噴火により地上に火山灰が積もり、その上に植物が茂り、やがて枯れた植物は分解されて腐植となった土)台地があり、それを免田川の氾濫砂礫が覆っている。免田川流域の黄白色の台地が河川氾濫により運び込まれ堆積して形作られた台地である。黒ボク台地の上に大規模な沖積台地(洪積台地)がどうして形成されたのであろうか。図3は清願寺ダムから球磨川河口までの免田川の標高である。ダムから球磨川までの川の長さは約9km、その間の落差は284m、平均勾配は3.4%である。この3.4%という値は100mで3.4mの落ち込みを意味する。ちなみに、あさぎり町域の球磨川9Km間の勾配は0.3%であるから免田川は球磨川の10倍以上、すさまじい急流であることがわかる。したがって一旦、白髪岳山地に雨が降ると大洪水が発生したことは容易に想像できるし、前掲の図1の免田川流域の沖積層台地がそれを物語っている。近世になっても土石流は頻発していたらしく、ダム下流の西平川には砂防堰堤が幾つもあり、「ここは大雨時に土石流の発生するおそれがあります」と書いた警告板が立っている。近年竣工した清願寺ダム(図2)も、実は数千年前からの願望であったのである。今の穏やかな免田川の様子からは想像もつかないことである。
図2 清願寺ダム 図3 免田川の標高差
おわり:1年間のご愛読に感謝! 次回は読者欄 文責:杉下潤二