2018年4月 7日
・隠れキリシタン墓碑の特徴・見分け方
1)蓮華紋(れんげもん)
隠れキリシタン墓碑(墓石や供養碑)の特徴・指標(目じるし)を、原田正史先生が書かれた「驚愕の九州相良隠れキリシタン」を元に紹介しよう。
手掛かりとして重要な指標(目じるし)は、墓碑類に刻記された図形や絵模様および文字などである。これらの指標が、なぜ墓碑に刻記されているかというと、自分がキリスト教徒であることを天の神に告げる手段としてひそかに指標(目じるし)を墓碑に刻記したわけである。しかし、取り締まり役人に見つかってはいけないので、キリスト教信者であることが分からないように、分かっても言い逃れができるような指標となっている。つまり、仏教ゆかりの絵文様とか図案に似せることによって、追及された場合、言い訳ができるような指標が原則となっている。
図2に原田先生が分類された蓮華紋の分類を示す。図3は筆者が実際の墓石で撮影した蓮華紋である。隠れキリシタン墓碑の指標の第一は、このような蓮華
模様とシュロ模様である。まず、蓮華模様であるが、仏像は台座に安置されており、その台座は蓮華座である。なぜ蓮華かというと、蓮華はヒンドゥー教でも、また仏教でも宗派を問わず聖花とされている。蓮華が仏教の根本的なシンボルであり、極楽浄土に咲いている花だからである。お釈迦さまや阿弥陀様はは立像も座像も蓮の花の上に鎮座している。
図2隠れキリシタン墓碑の指標(左)
図3蓮華紋の例(右)上段:岡原南宮麓の墓地、下段:多良木町久米野添墓地
さて、蓮華は分かるが、なぜシュロの葉がキリスト教や仏教とどういう関りがあり、隠れキリシタンであることが発覚した時、このシュロでどのように言い逃れができるのだろうか。実は、シュロにはイエスがエルサレム(イエスが十字架にかけられ処刑された場所)に入城した際、市民がシュロの葉を持ち歓迎したとか、シュロの葉に仏教の経典や挿絵を書き写したという言い伝えがあり、仏教でもキリスト教にも共通した聖なる木(葉)だからである。
墓碑に蓮華紋を彫るのは石材店の人たちである。蓮華紋は現代でも彫られているのだろうか、現代の石材店の人たちは蓮華紋が隠れキリシタンの指標であるとの説に対してどんな見解をお持ちなのだろうか。
兵庫県豊岡市野上の「おおきた石材店」の大北和彦さんは現代でも蓮華紋を彫られている方である。どのような経緯と考えで彫られているのか聞いてみた。そしたら以下のようなご返事をいただいた。
「・・私は、九州地方の蓮華紋を見たことがないのですが、私の住む但馬地方、あるいは、両隣の地域に多く見られる「蓮華彫刻」は基本、上台の正面、稀に竿石(さおいし)の下の部分に彫られるもので、形状は各石材店にて多少異なります。また、地域によっても形状が異なります。これは、推測するに、蓮華台の簡略版だと思います。蓮華台は、確かに目立つし、華やかに見えますが、費用が掛かり、石材店としても技量が試されそういった理由で蓮華彫刻が始まったのではないかと思います。また、蓮華紋が隠れキリシタン墓の指標といった話は全く聞いたことがありません。そもそも隠れキリシタンがこの但馬地方に存在したという話は聞かないし、いたとしてもこの蓮華彫刻とは全く関係ないと思います。・・それから、蓮華紋は真宗系門徒の墓に見られるとのことですが、少なくとも但馬地方では全く当てはまらないと思います。弊社では、宗派に関係なく和型のお墓には蓮華彫刻をします。真宗ではする、他宗派ではしない、という考えは初めて聞きました。但馬、丹後地方では少なくともそう言うことは全くないと言えます」ということであった。
大北和彦さんの見解の中に出てくる用語を補足しておくと。竿石(さおいし)とは棹石とも書き、お墓の上段に直立している石で、〇〇家の墓、とか先祖代々の墓、時には戒名が彫られている石柱のことである。蓮華台(れんげだい)は蓮台(れんだい)ともいい、棹石の台となるもので魚鱗葺(ぎょりんぶき)で彫ってある。この魚鱗葺という図柄は、図4左のように、魚の鱗のように互い違いに花びらが生えているもので、蓮華を簡略化した形のものといえるが、石工の技量が最もためされる加工箇所である。この形状を掘り出すのが技術的にも経費的にも大変だから蓮華紋を彫ったのではないかと、大北さんは指摘されるのである。
図4 棹石と蓮華台(左)と南無阿弥陀仏と蓮華紋のある墓(右)
筆者は、三重県桑名市の長島町で、一向一揆の拠点となった願証寺のすぐ近くの在住であるが、町内の墓地で蓮華紋のある古い墓石(江戸時代や明治の頃)を幾つも見つけた。蓮華紋はあっても、ハート形ではなく、蓮のつぼみが中心にある蓮華紋である。そのほかの、以前に述べたような隠れキリシタン墓碑の指標は彫られていない。どうやら、この地方の蓮華紋は、大北さんの指摘されるように、蓮華台を簡略化した装飾的なものと判断できる。特に明治以降の近代墓石はそのようである。真宗系寺院墓地で、隠れキリシタン指標ではなく、蓮華台の簡略化した装飾となっている蓮華紋のある墓を見つけた。先の図4右の墓で、竿石に「南無阿弥陀仏」、その下に蓮のつぼみ形をあしらった蓮華紋が刻記してある。左が嘉永2年、右が明治34年のものである。
隠れキリシタンの本場、人吉球磨地方の石材店ではどうであろうか。球磨郡あさぎり町深田東の石材店、東 宗博さんの答えはこうである。「蓮華紋は約30年前に彫ったことがあるが、近年は彫ったことはなく、依頼されたこともない。蓮華紋が隠れキリシタンの指標だということも初めて聞いた」とのことであった。確かに、蓮華紋のある墓碑は江戸時代など無縁仏の墓石でしか見られず、近年の墓碑で見かけることはない。したがって、蓮華紋については、少なくとも現代の墓石に刻まれている蓮華紋は、隠れキリシタンの指標ではないことは明らかである。
2)かぎ 卍(まんじ)
卍(まんじ)とは、ブリタニカ国際大百科事典によると、「インドでは、おめでたいことの象徴で、仏教では仏陀の胸、手足、頭髪に現れためでたい兆しであり、さらに仏心の印としても用いられ、そのことが寺院の記号、紋章および標識としても用いられる」とある。お寺さんの説明はこうである。たとえば、曹洞宗西光寺(千葉県館山市正木)の説明は、「卍は仏教徒の記章。卍の縦画は時間を、横画は空間を表し、三世十方に縦横無尽なることを示し、四つの先端が左右に折れ曲がっているのは我々の本性が不可思議な宇宙大の光明を放っていることを表しいる、、、」である。
図5 隠れキリシタン指標卍(まんじ)の種類 図6 浄光院集積墓石
卍には右旋(右回り)と左旋(左回り)がある。この卍は左旋である。右旋はり逆卍ともよばれ卐のような形である。この卐 は1930年前後のドイツでは民族主義運動のシンボルとされ、ナチス党のシンボルや当時のドイツ国旗に採用された。ちなみに、日本での寺院の象徴は主に左旋(卍)が用いられる。ナチスドイツのシンボルだったことはさておいて、なぜ隠れキリシタンの指標になっているかと言うと、十字ではキリシタンであることが鮮明なので、十字の縦と横に鉤(かぎ)をつけ、あたかも仏教徒であるかのように偽装したわけである。
先に紹介した原田先生の調査によると、卍の形は図5のように幾種類もあることが知られている。図形の中に「撞木クルス」とあるが、撞木(しゅもく)とは、両頭ハンマーのようなT字形の鉦(かね)叩きの道具である。図6は、球磨郡あさぎり町岡原北の浄光院にある集積墓石の中の卍例である。卍の輪郭が良くわからないので白点線を入れてある。
<つづく:次回は隠れキリシタン墓碑の謎文字>
杉下潤二 junji@siren.ocn.ne.jp