あさぎり町中部ふるさと会

あさぎり町中部ふるさと会とは
熊本県球磨郡あさぎり町出身者、及び あさぎり町と
係わりのある方々の中部地区での親睦団体です。

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続 ふるさと探訪

2018年7月31日

続 ふるさと探訪23 昔懐かしふるさとの味:ポンポン菓子・あま茶・からいも飴

6.ポンポン菓子(ポン菓子)

 「ポンポン菓子(ポン菓子)が懐かしかとう!」と言われるのは、あさぎり町の綾さんである。ポン菓子(ポンがし)、ドン菓子(ドンがし)とは、米などの穀物に圧力をかけた後に一気に開放することによって膨らませた駄菓子の一種、ポンポン菓子・パンパン菓子ともよばれるが、専門用語では膨化食品(ぼうかしょくひん)穀類膨張機と呼ばれる機械(図6)を使用し、その回転式筒状の圧力釜に生の米などを入れ、蓋をして密閉し、釜ごと回転させながら加熱。釜の中が十分加圧(10気圧程度)されたら、圧力釜のバルブをハンマーで叩いて蓋を解放し、一気に減圧する。この時、原料内部の水分が急激に膨張し、爆裂音を伴いながら釜から内容物が勢い良くはじけ出る。このため、機械に受け用の網籠を取り付けてから蓋を解放する必要がある。発生する音から「ポン菓子」または「ドン菓子」と呼ばれるようになった。この膨化過程で、米の場合には元の10倍程度にまで体積が膨らみ、サクサクと軽い食感の菓子になる。形状は原料をそのまま大きくした形で、味や食感はシリアル食品に近似している。通常はこれに煮立てた砂糖蜜を絡め、粉砂糖などをまぶして甘味をつけて食べる。あらかじめ米に食紅をつけておくことにより、赤いポン菓子を作ることもできる。使用する米に
ついては、米の含水量の関係で、新米よりも古米や古々米を使用した方が、食感や味に優れたものができるとされる。大正から昭和中期頃までは、定番の菓子として子供に人気があった。今のポン菓子機はプロパンガス加熱だが、昔は図6右に示すように、焚き物加熱だった。
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図6 ポン菓子(左)と焚き物加熱式のポン菓子機(穀類膨張機)((右

7.あま茶(甘茶くみ)

 あま茶は、アジサイの変種で、ガクアジサイによく似ている。図7の左が甘茶の木の葉である。若い葉を蒸して揉み、乾燥させたものを煎じて作った飲料である。煎じている場面が図の中央である。これを、指で天を指すお釈迦さんに汲みかけ、そのお下がりを一升瓶などに分けてもらって帰るのである。なぜお釈迦さんに甘茶をかけるのかというと、これは、みんなで産湯(うぶゆ)をかけてあげ、お釈迦さんの誕生を祝う意味が込められているのだそうである。お釈迦さんは生まれてすぐ立ち上がり、七歩歩き、右手指で天を指し、左手指で地を指し、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と唱えられたという伝説があり、その姿で甘茶の湯船の中に立っておられる。
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図7 あま茶(左)、甘茶の煎じと甘茶くみ(右)   写真:山江村HP
 コーラなど甘味飲料水がなかった時代、筆者などは、幾つもの会場に出かけて甘茶を集めた思い出がある。現代では保育園や幼稚園で行われることはあっても、地域の集落単位で行われることはなくなり、このような行事があったことも、ほのかな甘みと香りを知らない球磨人が多いのには驚いた。唯一、この甘茶の味が懐かしいと便りをいただいたのは兵庫県在住の英宜さんである。戦前から昭和30年代ぐらいまで、4月8日のお釈迦さんの誕生日には、どこの集落のお堂でもお釈迦様の誕生を祝う甘茶くみ(花まつり)が行われていた。今は球磨郡水上村や多良木町でも花まつりは行われるようであるが、甘茶くみだけの素朴な催しではないようで、唯一、山江村浄専寺の智山堂、あさぎり町上の麓地区や須恵の阿蘇地区などで実施されている程度である。

8.からいも飴

・・からいも飴やからいも水飴を母が作っていました。鍋でゆっくり、しゃもじで回していたのを覚えているだけで、詳しい作り方やレシピはわかりません・・」という便りは、あさぎり町の深田出身の千代さんである。
「からいも飴」?筆者には記憶にないオヤツである。どんな飴だろうかと検索してみたら、なんと、近くの天草で、天草特産「からいも飴」とか、宮崎県産や鹿児島県産の「からいも飴」がアマゾンで売られていた。図8は、これらの画像の転載で、アマゾン商品である。指宿にあるイモ水飴元祖、坂本屋は、お茶請けに「からいも飴」というタイトルのYouTubeをアップしていた。

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図8 「からいも飴」の各商品、右端は「芋ねり飴」(写真:アマゾン)

 図8で、袋に入った飴は約220円前後、瓶詰めの水飴は650円前後である。このような「からいも飴」は、戦時中の物資統制令下でも、ヤミ市で売られていたそうである。甘いものが全くなかった時代だから買い求めるひとは絶えなかったという。この「からいも飴」の作り方やレシピも、昭和22年、 尾崎準一氏編の「芋類加工の理論と實際」という本の中に詳しくのべてある。麦芽を使う方法では、まず蒸したカライモ水を加えてつぶし、泥状状態にし、これに麦芽を加えてこし、冷却して成形する。麦芽を使わない方法は次の通りである。

1.生いもと同量の水を80℃にあたため、生イモを卸金(おろしがね)で擦りこむ。この際、温度を60〜80℃に保ち、すりおろしたものがすぐ半のり状態なるようにする。
2.すりおろしたイモはすぐ湯に入れないと着色するので注意する。
3.いもを全部おろし込み、80℃以上にならないように注意しながら十分にのり状にし、お粥(かゆ)の固さくらいにする。
4.次に60〜80℃の恒温槽に数時間入れて糖化させ、その後一度、煮沸して布袋でこし、そのろ過した液を煮詰めて上に浮いてくる混ざりものを2〜3回すくい取り、濃縮すれば「からいも飴」の完成である。

(つづく:次回は、柿と栗)

杉下潤二

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