2018年8月14日
15. 雀の卵
10円玉もって飴玉5個と雀の卵10個買って食べていた頃が懐かしいとは大阪府河内長野市在住の増田さん、1円玉で2個も買えた雀の卵をよく食べていたと、岐阜県可児市在住の金子さんなど、何人かの方がこの小さな雀の卵に大きな思い出があるとの便りをいただいた。
雀の卵とは、駄菓子のひとつで、大牟田や熊本や鹿児島で作られていて、そのせいか、九州を中心に食べられていた駄菓子である。この豆菓子は中にピーナツが入っていて、外周は醤油ベースのピリ甘辛味味付けで、明治期からあったとも
言われている。駄菓子屋の店先で、図16示すようなガラス瓶に入れられて量り売りや小分け売り(ばら売り)されていた。昭和の初期には1銭で数十個、昭和
40年前後には2個1円で販売されていた。30年ほど前より袋入りになり、現在でも売られているが、50個入りで千円もするものがある。
図16 往時の雀の卵のばら売りと現代の袋入り卵の例
16.ラムネとサイダー
今のようなコーラとか数多くの飲み物がなかった時代、ラムネやサイダーは
夢のような清涼飲料であったと、これも多くの方からお便りいただいた。
「ラムネ」とは、日本で製造された最初の炭酸清涼飲料水、炭酸のガス圧によって、栓のビー球が圧着されているものを言い、単に王冠で栓をしたような飲料水ビンは「ラムネ」ではない。ラムネ瓶には,図17左のように、ラムネん玉(ビー玉)が入っていた。こどもの頃は、どうやって入れたんだろうと不思議でならなかった。その入れ方を知ったのは、大人になってからである。ラムネ瓶の口は、もともとラムネん玉が入る大きさになっていて、玉を入れてから加熱して口を細くするだけである。昔のラムネ瓶の中にはパッキンがあり、ラムネん玉が炭酸ガスの圧力で押されてみ密封される仕組みであった。しかし、近頃のラムネ瓶は、瓶先端にキャップが固着されているから、それをニッパーなどで取り除けばラムネん玉が取り出せるようになっている。図の左は、レトロショップ モンタゲさんの昔のラムネ瓶で、傷もなく今も残っているのは僅かだそうである。図の右端は明治42年(1909)頃の三ツ矢サイダー瓶である。そのラムネが日本へ伝わったのは1860年頃、英国船が長崎へ持ち込んだのが最初とされている。ラムネは「レモネード」が転じたものといわれ、そのレモネードというのはレモン水のことで、レモンの香りをつけた炭酸飲料である。ラムネ瓶の特徴は、ガラス玉栓による密閉である。この画期的な密閉の仕掛けは、イギリスで発明されたものであるが、特許が切れた1888年を境にして、日本でも「ビー玉栓ラムネ瓶」が作られるようになった。
ラムネ瓶 三ツ矢サイダー
図17 往時のラムネとサイダー
本来のサイダーは、林檎系の香味が付く炭酸飲料で、三ツ矢サイダーがそれである。三ツ矢サイダーは、明治時代に宮内省が兵庫県の、現在は川西市の平野鉱泉を用いて炭酸水の御料工場を作って始まったとされ、大正天皇の皇太子時代に御料品として採用された飲料水である。ラムネとサイダーの違いは、瓶を密封するための蓋が、サイダー瓶はアメリカで発明された王冠であり、ラムネはイギリスで発明されたラムネん玉栓であった。
おさらいしておくと、ラムネとサイダーの違いは、栓の仕方の違いのほかに、ラムネはレモン水を意味する英語のレモネードが訛ったもので、レモンやライムの香料に砂糖をくわえた清涼飲料水である。サイダーは、リンゴ酒を意味するフランス語のシードルからきたもので、炭酸水の中に、柑橘類に含まれるクエン酸や香料、砂糖を加えた清涼飲料水のことである。
(つづく:次回は、アイスキャンデー、さとうきび)
杉下潤二junji@siren.ocn.ne.jp