あさぎり町中部ふるさと会

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熊本県球磨郡あさぎり町出身者、及び あさぎり町と
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続 ふるさと探訪

2018年8月19日

続 ふるさと探訪28 昔懐かしふるさとの味:アイスキャンデーとさとうきび

17.アイスキャンデー

 アイスキャンデーは、果汁等を棒状に氷結した冷菓のことで、日本ではアイスバーとも呼ばれることがあるが、子供もの頃は誰も「アイスキャンデー」であった。昭和30年代くらいまでは、図18左に示すように、アイスキャンデーの入った木箱を自転車の荷台に乗せ、人が集まる道角や催し会場あたりで売られていた。チャリンチャリンとハンドベルのような物を振りながらである。
 作り方はいとも簡単であるが、その製法は、1905年(明治38年)、アメリカ・サンフランシスコの11歳の少年が発明した。寒いある日、少年はジュースに混ぜ棒を挿したまま外に忘れてしまっていたが、翌朝、ジュースが凍ってキャンデーのようになっていることに気づいた。これがアイスキャンデーの始まりであり、日本へは大正時代にはいってきた。今では、水や果汁や牛乳などに、砂糖などの甘味料、香料、着色剤などを加えて型に流し込み、木製の棒を差し入れて凍らせてつくるが、近年では、果肉、小豆やチョコレート等をまぜ入れたものや、凍らせたあとで、溶かしたチョコレートやアーモンドクリームなどに漬けて、表面を覆ったものもある。昔の形は円筒形のものが多かったような気がするが、近年は直方体のものが多い。
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図18. 昭和の時代のアイスキャンデー売り(左:三州足助屋敷プログ)
 筆者にも、田舎でのアイスキャンデーの思い出は人並みであるが、北京での経験を今でも鮮明に覚えている。国際会議が北京であり、帰路、黄河を見に行くことになった。黄河をまたぐ大きな長い橋の上まで来たら、ちょうど日本と 同じように、自転車の荷台に箱を積んだアイスキャンデー屋さんが通りかかった。すると、通訳兼ガイドの方が暑いからと言ってアイスキャンデーを買ってくれた。当時、海外旅行では生水は絶対飲んではいけないと注意されていたので躊躇(ちゅうちょ)したが、せっかくのガイドさんの好意なのでいただくことにした。明日は帰るという晩、お腹の調子が悪く、検疫に引っかからないか、無事帰国できるか、不安だった思い出である。でも、黄河の色をした黄色いアイスキャンデーは冷たくおいしかった!


18.さとうきび
         さとうきび畑          唄:森山良子 作詞作曲:寺島尚彦

      ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
      ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
      知らないはずの父の手に だかれた夢を見た 夏の陽ざしの中で


 11番まであるこの歌、風には音はないが、物に当たると音になる。ここでは「ざわわ」という風の音が66回も出てくる。その6番目の歌詞がこうである。少女は沖縄での戦闘で死んだ父親の顔を知らないが、大きくなると一人で父親を探しにさとうきび畑に行った。父はなぜ戦い、なぜ殺されたのか、なにを恐れて自決したのかと、通り抜ける風の音を聞きながら静かに悲しみを訴える、この歌は、そんな曲であり歌詞である。

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図19 奄美のさとうきび畑と子供がオヤツする風景(写真はイメージ)

この曲の中の「サトウキビ」は、現在、沖縄や奄美大島などで栽培されているもので、砂糖の原料となる農作物であり、図19のように、1960年代までは子供のオヤツであった。栽培種の起源はニューギニア島とその近くの島々と言われ、世界各地の熱帯、亜熱帯地域で広く栽培されるイネ科の植物である。
筆者が、昔懐かしのオヤツとして書き残しておきたいのは、このサトウキビではなく、本当の名前は「サトウモロコシ」である。このサトウキビに対する全く同じ思いでの方がtonbiiwa@gmail.comさんである。

「サトウモロコシを栽培してみました。ネット通販で入手した種子を5月16日に播いたところ6日後に発芽し始め、順調に育ちました。8月に入ると草丈は2bを超え、下旬には穂が出始めました。この写真は9月6日現在の様子で、穂先までの高さは3メートルほどあります。サトウモロコシはその名の通り、葉や茎などの外観はトウモロコシに似ていますが、トウモロコシのような実は出来ず、代わりにサトウキビのように茎に糖分を蓄えます。イネ科モロコシ属で、外国ではコウリャンと呼ばれている雑穀の仲間です。バイオエタノールの原料として注目されているスーパーソルガムの親戚です。
私が小学生のころ(1950年代)、家ではこれをサトウキビと呼んで子供のオヤツにしていました。敗戦後の砂糖が貴重品だった時代です。糖分を含んだ茎は表面が竹のように硬くて、包丁や草刈り鎌では切れません。それを「押し切り」で節の部分を取り除くように短く切り、切断面から前歯を使って硬い表皮を剥がし、ステイック状にした柔らかい髄(ずい)の部分を噛んで汁だけを飲み、口に残るカスは吐き出していました。押し切りとは、稲わらや牛のえさを切るための道具で、当時は農家の常備品で、我が家には現在もあります。茎の収穫は穂先の種子が黒くなる頃なので、写真(図20左)を撮った日に一部を切り倒して食べてみました。すると忘れていた懐かしい香りが口いっぱいに広がりました。しかし。甘みは昔ほどではありませんでした。敗戦直後は、甘みに飢えていたので、これくらいの甘さでも充分甘く感じたのでしょう・・・」

 筆者も、実は数年まえの帰省のおり、近所に昔懐かしいサトウキビを植えている方があり、穂先が黒くなっていたので、穂先を頂いて帰り、翌年、穂先の種を蒔き、育てたことがある。3mほどにまで成長し、秋の運動会のころが収穫期だったことを思い出し、切り倒し、竹のような皮を、子供の頃と同じように、前歯でむいてしゃぶってみた。その時の味、甘みはtonbiiwaさんと同じであり、当時のような甘みを感じなかった。この程度の甘さでも当時は甘いオヤツだった。このように、筆者のさとうきびに対する思い出もtonbiiwaさんと全く同じだから補足はしないが、恥ずかしながら、筆者の子供の頃は誰もが、「さとうきび」と言っていた。それが「サトウモロコシ」の学名であったとは驚きである。 

この「サトウモロコシ」は、茎から甘汁を絞り、甘味料として昔から利用されたイネ科の一年草である。子実を食用にするトウキビの変種らしい。そういえば、トウキビの茎もほのかに甘みがある。トウキビの原産地はエチオピアを中心とする東アフリカで、中国には4世紀以前に、日本には5〜8世紀に伝わったらしく、サトウモロコシはこれに伴って持ち込まれたと考えられている。世界の熱帯、温帯各地に分布している。

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図20 サトウモロコシ、右は竹のような皮をむいたところ、髄の部分を噛む

(つづく:次回は、山野菜:山椒、つくし、セリ)

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